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書評(のようなもの)『字はうつくしいーわたしの好きな手書き文字』

先日、慶応義塾大学書道会(大学公認サークル)の会報誌『硯洗』が発行されました。

毎年現役会員が、会員と先生、OB・OGの原稿を集めて編集し、卒業時期に合わせて発行してくれます。

私も講師として、お正月に読んだ本の書評のようなものを寄稿しました。

 

『字はうつくしいーわたしの好きな手書き文字』井原奈津子著(福音館書店)

 

出版社:福音館書店のページはこちら

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手書き文字に見える、書いた人の人となりを味わい、楽しむことついて書かれています。

上のAmazonのリンク先から、紙面の立ち読みができるので、ぜひご覧ください。

書は難しく考えられがちですが、書き手の人となりを味わうというのは、書の楽しみの本質です。

とても読みやすい本ですので、書に関心のある方、特に小さいお子さんのいる方に、本書をご一読いただければと思います。

 

以下が私の『硯洗』原稿です。

 

人の字を楽しむこと(「字はうつくしい 私の好きな手書き文字」を読んで)

平成一六年卒 文学部 望月 俊邦

 

児童書で知られる福音館書店に、『たくさんのふしぎ』という月刊誌があります。小学校高学年を対象にした、自然や社会の事象の素朴な疑問に迫ろうというシリーズです。二〇二三年二月号は「字はうつくしい 私の好きな手書き文字」というタイトルで、まさに書の基本的な問いである「字の美しさとは何か?」に焦点を当てています。子育て中の教室の生徒さんに勧められ、この本を読みました。

 

著者の井原奈津子さんは、美大卒業後にエディトリアルデザインに従事し、現在は習字教室の先生などをされています。誌面は、絵本のようにグラフィカルで、添えられた解説も子どもに語りかける形の平易な文章です。

 

子ども向けのわずか四〇ページの冊子ながら、書道関係の本で、ここ一年で最も刺激を受け、考えさせられた内容でした。

 

手書きの文字の美しさ、面白さを考える素材として、井原さんは種々の興味深い例を挙げてくれます。例えば、新聞記者のメモ、覚えたての日本語で書かれたラブレター、一三〇〇年前の中国人の字(唐の四大家のこと)、稲川淳二さんの怪談のネタ帳、福祉施設に通っている男性の手作りの名刺…。書の世界でよく語られるものと、まったく関係なさそうなものが、ここでは並置して論ぜられています。ですが、その意味はよくわかりました。

 

新聞記者のメモは、速記という目的に応じて画の省略や連続が引き起こされる書体形成の力学が観察できるモデルです。また、外国語として日本語を学習した人の書く字が、たどたどしさに裏打たれた清楚さを帯びること(まして恋文なので)は、肯けます。稲川淳二さんの字はフォントのように緻密で、字形にも行にもブレが一切なく、練りこまれた怪談の話術と重なります。おそらくなんらかのハンデがあり、福祉施設に通所している男性(しげちゃん)の名刺は、「友達になってください」「仲良くしてください」「ゆびきりをしてください」など、角ばった文字で埋め尽くされていて、一見ギョッとしますが、よくよく見ると字形と言葉の素朴さが相俟って、胸を打たれます。しげちゃんの字と、後漢代の古隷「開通褒斜道刻石」とを比較して、その飾り気のなさ、人懐こさを検討しているのは、文字の美しさという根本的な問いのアプローチとして面白いと思いました。

 

著者の井原さんの博捜は、さらに、ここ数十年の女子の文字の流行(丸文字・ヘタウマ文字・ギャル文字)、古書店のポップや街中の看板、藤原定家の「更級日記」、教科書のフォント(もとは人が手で書き起こしている)などに及びます。

 

いろいろな字に美しさを感じ、楽しむことができる。書いた人の工夫を汲み取り、体温を感じ、面影を覗き、興味をもてる、面白がることができる。それはとても素晴らしいことだと思います。

 

書は、伝統的な技法に基づく芸術です。「このように書くと字は美しい」という先人の蓄積、古典がすでにあり、それを臨書によって学び内面化することが基本です。しかし、いかに筆鋒のコントロール技術が高くとも、格調高い構成が構想できようとも、書の伝統の枠組みの中でしか評価や解釈ができず、面白さを見出せないのでは、書を学んだ甲斐がありません。

 

人が書いた文字には、すべからくその人となりが表れ、味や魅力があると思います。

 

あとがきで井原さんは、「私は習字も、『着物』と似ているなと思っているのです」と書いています。着物は着るのが難しいし動きづらいからめったに着ない。でもたまに着ると美しくて嬉しいし、背筋も伸びて気持ちいい。それと同じように、伝統的な美しさをもつ字を書くことには喜びがあるし、普段書く字にあふれる個性には、その人の命の美しさがある。「どちらも大事で、素敵なものだと思うのです」と。

 

私もそのように思います。古典のなかの伝統美を追究することには意味があるが、それだけが価値あるものではない。伝統的技法は、歴史からいわば「借りられるもの」で、それとは別に、今を生きる自分の命の在り方というものがある。拙なる文字にも、その人なりの生命の形が表れている。そこにも価値があり、面白さがある。

 

書を書き、教えている私ですが、子どもの字を見て「こんな字は自分にはとても書けないな。すごいな」とよく思います。おそらく井原さんも、子どもたちに習字を教えたり、書とは直接関係のない人の字を面白がったりするなかで、このような考えに至ったのでしょう。新年早々、井原さんの本に深く共感し、励まされる思いがしました。